【新型コロナ禍のラオスの人々の暮らし】国境封鎖が続くラオスから紹介します

新型コロナ禍のラオスの状況

筆者撮影

2019年10月に夫の故郷であるラオスに移住しました。それから半年と経たないうちに、コロナでラオスは国境を封鎖し、未だ一般人の出入国は許されない状態が続いています。

2020年8月27日現在に至るまでラオスでは、新型コロナウイルス感染による死者は出ていません。感染者数は合計22人でそのうち20人はすでに完治し、現在2人の感染者が首都ビエンチャンでコロナ患者受け入れ病院に指定されたミタパープ病院に入院しています。

コロナ感染で多くの人が命を落とした中国と国境を接していながら、ラオスはなぜ感染拡大をここまで抑え込むことができたのでしょうか。それは、医療事情の悪いラオスでコロナ感染が拡大したら、本当に恐ろしいことになる!という空気が国全体に行き渡り、政府も国民も拡大防止のために本気で取り組んだからだと思われます。

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ラオスは海の無い内陸国で、日本の本州とほぼ同じ広さの国土に約730万人が暮らしています。1人当たりの国内総生産(GDP)は約2500ドルで、日本の15分の1ほどです。医療水準は低く、首都ビエンチャンでもコロナ治療に必要な集中治療室(ICU)や人工呼吸器といった設備が整う医療機関は3ヶ所のみです。ましてや首都ビエンチャン以外の都市には総合病院と呼べるような医療施設が見当たりません。感染が広がった場合、どういった事態になるかは火を見るよりも明らかです。

ラオスでは2020年3月下旬に新型コロナウイルスの初の感染者が確認されました。その後、タイ、中国、ベトナムなど隣国との国境が閉鎖され、現在まで空路・陸路共に国境封鎖が継続し、一般人の出入国は原則不可能となったままです。ラオス政府が入国を認めるのは、緊急の用務がある専門家、投資家、実業家、技術者及び労働者や外交官,国際機関職員のみです。

ラオス政府は3月末から5月半ばまで外出禁止令を発令し、工場操業休止、全ての学校休校、飲食店や娯楽施設の営業休止といった非常に強いロックダウンを導入しました。

毎年4月中旬に行われる水かけ祭りですが、今年は関連のイベントも、お寺のお参りも、集会も全て禁止されました。例年、水かけ祭りの期間中、人々は自宅に置いてある仏像や、ペンダントにして携帯する仏像を、近所の寺院に持って行って水をかけて清めます。今年はそれぞれ自宅でお清め儀礼をしたため、例年、参拝客でごったがえすタットルアン寺院も静まり返かえっていました。

外出禁止令が敷かれた期間中、政府は正しい情報や指導を、お年寄りや子供を含む国民全体に伝えるためにありとあらゆる手段を駆使しました。テレビ、保健省ホームページ、フェイスブックといった近代的なツールはもちろん、村のスピーカーシステムを使った村長の情報発信なども毎日欠かさず行いました。また、国民から信望の暑い僧侶と情報共有会議を開き、僧侶から市民に正しい情報が伝わるように努力しました。

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こうした措置が功を奏し、ラオス国内での感染者は22人と世界的にも類を見ないほどの少ないレベルに抑えられています。

国が一丸となって感染の危機を回避しているラオスですが、コロナがラオス経済に与えた打撃は深刻です。世界的な景気後退の影響で、観光、貿易、投資の減少、移民労働者からの送金減額など、ラオス経済は大きな打撃をこうむっています。タイなどから10万人以上の出稼ぎ労働者がラオスに戻り、失業者が急増しています。

世界銀行やアジア開発銀行の予測ではラオスの2020年のGDP成長率はマイナス1~2%に落ち込むとされ、1990年以降最も低い成長率となりそうです。

現在のラオスでのCOVID-19の流行に関するステータス情報

今、ラオスはコロナ不況による貧困、貧困による治安の悪化という問題に直面しています。ここ数週間でバイクの盗難が急増し、街のそこここで警察によるバイクの登録番号の点検が行われています。

夜間の強盗が増え、我が家でもテラスに置いてあったプロパンガスのボンベが盗まれました。夫の友人宅では中庭に置いてあったガーデンテーブルセット、農具・工具を全て持って行かれたという人もいます。

【新型コロナ禍のラオスの人々】①海外からの仕送りが途絶えたノイさん(45歳、女性)

筆者撮影

産業の少ないラオスでは働く場所が簡単にはみつからず、タイやフランス、オーストラリア、アメリカなどに移民した人、あるいは出稼ぎで働く人からの仕送りが、多くの国民の生活を支えています。

しかし、コロナの影響でタイから10万人を超えるラオス人失業者が帰国、ラオスの失業率は従来の2%程度から一気に25%に増加しています。

夫の実家は首都ビエンチャンの東の外れ、タットルアン村にあります。ノイさんはタットルアン村の住民で、二人の娘さんは5年前タイに出稼ぎに行きました。二人はタイの首都バンコクから南に約200キロ行った所に位置するパタヤビーチのタイ式マッサージ店で働き、数ヶ月に1度、5万バーツ(約1600ドル)、10万バーツ(3200ドル)とノイさんに仕送りしていました。

しかし、コロナの影響でパタヤの観光客は激減し、ノイさんの二人の娘さんも失業してタットルアン村に戻ってきました。

ノイさんは5年前に夫をバイク事故で亡くし、現金収入がなくなったことが二人の娘をタイに出稼ぎに出すきっかけとなりました。その後は70歳になる実母と中学2年生になる長男、そしてビエンチャン郊外のアン村の親戚の娘さんと4人で暮らしていました。

親戚の娘さんはビエンチャンの専門学校で英語を勉強しています。ラオスでは、首都の親戚を頼って農村部から勉強や出稼ぎにくる若者の話はたくさん聞きます。ノイさんの家族は二人の娘さんの仕送りを頼りに暮らしていました。その他に、家で飼う鶏30羽が生む卵を売って得られる収入が多いときで月に30ドル程度です。こんな経済状況で、よく親戚の娘をあずかったものだと不思議に思うのですが、ラオスでは親戚同士助け合うのが当たり前で、頼まれたら普通に受け入れるようです。

居候するお嬢さんも自分の立場はわきまえたもので、家のことをあれこれと手伝い、住み込みの家政婦さんとまではいかなくても、それに近い働きをします。

コロナでノイさんの娘さん二人が失業してタットルアン村に戻ってからは、居候の娘さんの両親がコメや野菜、時には山で捕れた黒豚の肉やメコンで捕れた魚などを届けてくれるようになりました。4月~5月と現金収入が途絶え、家族も増えたノイさん一家にとって、親戚からの食料支援は大きな助けになったようです。

5月20日、ラオスでは外出禁止令や首都ビエンチャンの封鎖が解け、国内の移動は自由になりました。その後、ノイさんの二人の娘さんは自宅の一角を利用して、タイマッサージ店をオープンしました。親戚のお嬢さんも一緒に手伝ってくれています。

タイ式マッサージは1時間6万キップ(約6ドル)が相場で、毎日3~4人は客さんが来るので、日に20ドル程度の収入にはなります。家族でぎりぎり食べていける程度の収入は確保できたようです。収入は減って生活は苦しくなったとしても、二人の娘さんが戻り、賑やかに暮らすノイさんは幸せそうです。

【新型コロナ禍のラオスの人々】②観光客向けレストラン従業員ポンさん(23歳、男性)

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産業の少ないラオスでは、旅行収入のGDPに占める割合は10%に達します。しかし、コロナの影響で2月初旬から観光ツアーが途絶え、3月になるとホテルのキャンセル率が86%に達しました。観光会社では従業員に他の収入を探すように指示し、営業休止状態が続いています。

ビエンチャン市中心部で観光客をターゲットに営業するレストラン「クランキー」は、洋食が恋しくなると利用するリーゾナブルなお店です。そこで働くポンさんの収入は、以前に比べて3分の1ほどに減ってしまったと言います。

でも、ポンさんは収入が減ったことよりも、仕事を続けられている現状に満足していると、笑顔で働いています。

クランキーのオーナーはラオス中部のサバナケット県の出身です。市中心部に店を構えるレストランのオーナーは、外国人あるいは外国留学帰りのラオス人が多く、こうしたお店では、店員をバッサリと半数以下に減らしているところがほとんどです。

ポンさんのお店でも、4月~5月はほとんど客が入らず、8人もいる店員の半数は削減しないと経営が難しい状態でした。

この時、オーナーはラオス人向けのメニューを増やし、価格帯を下げるという工夫で、地元の客を呼び込むことに成功しました。

また、店員たちも、給与を1/3に減らすことと引換に従業員全員の継続雇用をオーナーに掛け合いました。

競争して勝ち組と負け組に分かれるのではなく、ある物を皆で分け合い、皆で少しずつ我慢する道を選ぶのが、ラオススタイルのようです。

【新型コロナ禍のラオスの人々】③中国ラオス合弁会社社長ケオさん(48歳、男性)

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夫の友人のケオさんはラオスの中央に位置するシェンクアン県の出身です。20年前に中国留学から戻って軍隊に就職しました。ケオさんは、ラオスの各地で軍が管理権を有する鉱山資源の開発に、中国企業を呼び込む事業で成功しました。現在は軍部に籍を置きながら、貿易投資コンサルティング会社の社長として、ラオス各地の資源開発に中国やベトナムの企業を誘致する仕事をしています。

ケオさんの会社にはケオさんの弟、妹2人、親戚一同が十数人も働いています。ケオさんのように起業して家族親戚を従業員として雇うのはラオスでは当たり前のことです。産業が少なく就職が難しいラオスでは、起業をした人は家族や親戚に働く場所と収入を保証する役目を負うようです。起業した人のほとんどが、多くの兄弟や親戚を抱え込み、外ではライバル会社との競争に明け暮れ、社内では兄弟親戚の管理監督に頭を悩ませます。

ケオさんの家庭内の事情もまた複雑です。ケオさんは中国留学で知り合った、国の高級幹部の娘と20年前に結婚し、二人の男の子に恵まれました。事業が成功したのも、義理の父の人脈に助けられたことが大きかったようです。

しかしケオさんは軍部の仕事で地方出張が多く、夫婦の感情がすれ違う中、地方で現在の奥様と出会い恋に落ちてしまいました。前妻や義理の父と泥沼の争いを経て離婚が成立し、今の奥様と結婚して、この奥様との間にも二人の子供に恵まれています。

前妻との間に生まれた2人の男の子は、離婚当初は前妻に引き取られました。しかし、前妻が再婚すると、二人の男の子は継父とうまくいかず、今はケオさんの家で一緒に暮らしています。

それだけではありません。現在の奥さんの実の妹の子供2人の面倒もケオさんがみています。

理由はわからないのですが、離婚や病気で子供が育てられなくなると、兄弟親戚が引き取って代わりに育てるというケースはラオスではよく目にします。

ケオさん夫婦、奥さんのご両親、前妻との間に生まれた子供2人、今の妻との間に生まれた子供2人、妻の妹の子供2人と合計10人の家族、そこに、住み込みで子守や家事を手伝う遠い親戚の女性が2人働いているので、総勢12人が一つ屋根の下で暮らしています。

人口が希薄で産業の少ないラオスですが、開発途上の鉱山資源、観光資源は豊富で、中国・タイ・ベトナムなどの外資を導入し、コロナ前は国の重要な財源となっていました。

ケオさんが養う大家族、兄弟親戚もビジネスが好調だったときは、十分な給料が支給されたため、大きな衝突はなかったようです。

しかしコロナ禍で外国企業と提携して勧めていたプロジェクトの多くは一旦中止・延期に追い込まれてしましました。

最初にケオさんに救いを求めたのは前妻のライさんです。ライさんは国の幹部であった実父のコネを活かして、実父の出身地である南部の街パクセーで、材木や飲食関係のビジネスをしていました。しかし、商才に乏しくたびたび失敗、そのたびにケオさんに支援を求めてきます。

最近また、カンボジアとの貿易に投資したお金がコロナの影響でリターンがゼロになり、ケオさんに5万ドルの支援を求めてきました。ケオさんは前妻の人脈でビジネスを軌道に乗せたということもあり、頼まれると断れません。今の奥さんには内緒で5万ドルを送金し、これが今の奥さんにバレて離婚騒動に発展してしまいました。

これと前後してケオさんの妹がケオさんに、まとまったお金が必要だから用立ててくれと泣きつきました。ケオさんの妹の夫は公務員ですが、若い女性と不倫しています。ケオさんの妹は、気持ちがとっくに離れた夫をお金でつなぎ止めようと必死です。

ケオさんは不倫に走る夫を繋ぎ留めるためのお金を融通するのは、逆に妹のために良くないとお金を渡しません。すると、追い詰められたケオさんの妹は、ケオさんの今の奥さんに八つ当たりして「前妻と別れたのはあなたのせいよ!あなたが兄を誘惑しなければ、兄はもっと出世していたはず!」と罵ったといいます。

怒りのやり場の無いケオさんの奥さんからは「離婚」という言葉も飛び出したようですが、この場をなんとか丸く収めたのが、ケオさんの友人たちです。

ケオさんの実父によって招集されたケオさんの友人たちは、普段からケオさんと家族ぐるみの付き合いをしています。奥さん同士も大の仲良しという3組の夫婦の前でケオさんの奥さんはさんざん怒りをぶちまけ、ケオさんは謝罪こそしなかったものの、奥さんをねぎらい、かばい、妹とその夫の非を認めたといいます。

奥さんも、実の親や妹の子供まで養ってくれているケオさんに対して、本気で離婚を考えたわけではないのでしょう。自分が大切にしている人間関係の中で慰められ、認められ、褒められたことで落ち着きを取り戻し、一件落着のようです。

最近では関連部門のインビテーションを取得すれば、ビジネスの必要によって入国を許される人も増え、ケオさんの会社でも止まっていた鉱山開発プロジェクトが動き出し、調印式が行われました。景気が回復し、収入が安定すれば、人間関係のゴタゴタも落ち着いていくのかもしれません。

【新型コロナ禍のラオスの人々】⑤地方からの出稼ぎ労働者オムさん(31歳、男性)

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私たち夫婦はビエンチャン市東部郊外の農地に、高床式の小さな家を立てて住んでいます。近所に住むオムさんは、ビエンチャンに隣接するタケク県からビエンチャンに出稼ぎに来たと聞きました。現在家賃30万キップ/月(約30ドル)で築30年の古い家屋を借り、そこで夫婦2人と2歳、5歳、7歳になる3人の息子と一緒に住んでいます。

オムさんは農家から仕入れたトウモロコシと落花生を売って生計を立てています。1本1000キップで仕入れたトウモロコシが2000キップで売れるので、仕入れた100本全部売れれば10万キップ(10ドル)の儲けになります。ピーナッツは全部売れても3万キップほどの儲けにしかなりません。1ヶ月の世帯収入は300万キップ(約300ドル)ほどですが、物価上昇率が5%前後のビエンチャンではカツカツの生活です。

働き者の夫婦は毎朝2時には起きます。オムさんがバイクでビエンチャン郊外の農家に仕入れに向かっている間に、奥さんは家で薪を炊いて待ち、オムさんがとうもろこしと落花生を家に持ち帰ったら、すぐにこれを蒸します。

奥さんは蒸したトウモロコシと落花生を家の前の通りで売り、オムさん自身も顔見知りの屋台や食堂をバイクで回って販売します。

コロナ禍で最も大きな打撃を受けたのはオムさん一家のように、地方からビエンチャンに出稼ぎに来ている労働者の人々です。

ビエンチャンには頼れる親戚や友人も少なく、家賃や水道光熱費といった出費もかさみ、現金収入が途絶えると、たちまち生活に窮してしまいます。

外出禁止令が敷かれた4月~5月下旬までの約2ヶ月間、オムさん一家の収入は半分以下に減りました。ロックダウンが発令され、飲食店が営業できず、トウモロコシと落花生を買ってもらえなかったからです。出歩く人も少ないため、オムさんの奥さんが道端で売るトウモロコシの売上もガタ落ちでした。

この間、オムさんはマンゴの収穫で夫を手伝い、報酬として得たマンゴを市場で売って収入の足しにしていました。

オムさんだけではありません。コロナ禍で仕事が減った友人や知り合いが、次から次へと夫を訪ねてきます。その度に夫は家の草刈りや、敷地内の小道の整備など、その人ができるなんらかの仕事を探して手伝ってもらい、日当を渡しています。

オムさんの3人の息子は学校が休校になったので、オムさんと一緒にマンゴの収穫を手伝ってくれました。オムさんが木に登ってもぎ取るマンゴを、樹の下で地面に落とさないように上手に受け止めます。地面に落ちるとマンゴが傷つき売り物にならないので、布を張って慎重にキャッチします。ラオスの子供は両親を手伝う聞き分けの良い子供ばかりです。オムさんの7歳になる長男は、お父さんを手伝いながら2歳の弟の面倒もみていました。

5月末にロックダウンは解除になりましたが、コロナ不況でオムさん一家の暮らしは楽になりません。しかし、勤勉なオムさんに庭の手入れやロンガン(龍眼)の収穫の手伝いを頼む人は多く、三人の息子とオムさんは今日も忙しく働いています。

コロナ不況を相互扶助精神で乗り切るラオス人の強さについて考えた

筆者撮影

ラオスでは相互扶助の精神が未だ廃れていません。

その理由は国民の多くが敬虔な仏教徒であることと深い関わりがあります。人々は貧しい人に分け与えることは正しい行いであると考え、正しい行いを重ねることは、自分自身を救う道と考えます。

また、ラオスのような発展途上国では、家族・親戚・友人の間で助け合わないと暮らしていけません。日本のように生活が便利になった先進国では、人との関わりは煩わしいと避けて暮らすことも可能です。しかしラオスでは引越し、病気、就職、出産、育児などでは、人と人が協力して助け合うのが当たり前になっています。

ラオスが社会主義国であることも、相互扶助精神になんらかの影響を及ぼしているかもしれません。現在、憲法等にマルクス・レーニン主義を掲げた社会主義国は世界に4つしかありません。中国、キューバ、ベトナム、そしてラオスです。中国もラオスも多くの人は社会主義思想とは無縁と感じますが、学校では思想教育が行われているので、どこかに平等主義的な考え方があり、相互扶助精神につながっているのかもしれません。

ラオスに残る相互扶助精神は良い面と悪い面があると思います。悪い影響は、勤労意欲を損ない、蓄財の精神が蝕まれ、賄賂が蔓延るという点です。

「懸命に働いて節約して貯金しても、のんびり楽しく暮らす人に流れていくのなら、無理して体や心を壊すのは損だな」という考えが私の頭をよぎることがあります。

相互扶助精神の良い点は、人と人とのつながりが大切にされ、孤独な人が少ないため、人々の精神状態が安定しているところです。ラオス人を見ていると、お金よりも、地位や名誉よりも、人との繋がりが人間を強く健康にするのだと感じます。

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