スポンサーリンク

心の時代の禅の世界。気持ちを曇らせない、女性のためのかんたん心理学
スポンサーリンク

withコロナは心の時代へ

withコロナ、アフターコロナは心の時代です。しかし、それには否定的な声も聞かれます。経済停滞の時期になると、心の時代だと言って、責任や問題から目をそらしているのではないの?前から心の時代、心の時代と言っているよね?と疑問に思うことがあるかもしれません。では、なぜ今は心の時代なのでしょうか。

スポンサーリンク

なぜ心の時代なの?コロナ禍で憂鬱が増す

なぜ心の時代なのでしょうか?コロナ禍で人々の憂鬱が増している現状が教えてくれます。

新型コロナウイルスの影響により、わたしたちの生活は一変しました。不要不急の外出を控えるために働き方はリモートワークへと移行し、コミュニティでの人との関わりもオンライン化が推奨されて、新しい生活様式が浸透しつつあります。実際に触れ合える機会が制限され、寂しさや孤独感を増す人が増えてきました。また、日々雑多に入る大量の情報や、めまぐるしく変わっていく世の中の流れで、実は私たちは思うよりずっと疲れているのです。この過渡期に、多くの人はコロナ禍特有の様々な憂鬱に悩まされているようです。

  • 何をするにも気が重い
  • イベントも自粛され、四季を感じられない単調な毎日
  • 我慢ばかりでイライラする、怒りっぽくなった
  • 感染すると周りに大きな迷惑をかけると思い、どこへ行くのも怖くなる
  • 感染対策が甘い人に憤りを感じて不満が取れない
  • 先が見えない、どうしたらいいのかわからない

このような気持ちで、息苦しい日々を過ごしている人は増えています。警察庁の発表によると、2020年は自殺者が増え、特に女性は過去5年で最多になったということでした。日本人女性の自殺死亡率は世界4位とかなり高く、私たち女性に今必要なのは心のケアだとわかります。また、自分の心を守るためには、心の持ちようをどうを変えていくのか考えていかなくてはなりません。

こういった背景からも、これからは心の時代だと捉えることは自然です。

スポンサーリンク

なぜ心の時代なの?コロナ禍で変わる価値観

なぜ心の時代なのでしょうか?コロナ禍において人々の価値観は大きく変化しつつあります。物の豊かさから心の豊かさへと世の中のニーズは変わっているのです。

激変していく生活状況と共に、今までの価値観がガラリと変わる体験をしていると感じる人は多いでしょう。価値観の変化のうねりの中で、自分にとって大切なものを見出した人も多くいるのです。

  • 危機の中での助け合いで、人の優しさや思いやり、人との絆に触れることができた
  • 家族と過ごす時間が増え、家族のことを考えられるようになった
  • 人と気軽に会えるのが当たり前ではなくなって、人と会えることがどんなにありがたいことだったかわかるようになった
  • お金で解決できないことがたくさんあると気づけた
  • 自分の生活がどれほど人の力によって成り立っているのかわかった
  • 医療従事者の苦労を知ることで、色々な人のおかげで生きていることが身にしみてわかり、日常生活で感謝を深く感じられるようになった
  • 人と会えない分、自分のことについてよく見つめるようになった
  • 生活の変化によって、今まで気づかなかった自分を新たに発見することができた

このように、制限を余儀なくされた日常生活において、気づいてきたのは心のあり方に関することなのが特徴的です。密の回避で、距離的・身体的密接さがとれない反面、気持ちを寄り添わせ、心を通わすやさしい心の密に気づいているのでしょう。
今までは、見に見える事柄に信頼を置いてきたけれど、こうして目に見えない心に価値を見出すようになってきたのも、心の時代であるからと言えるのです。

心の時代に取り入れる心理学としての禅

心の時代に取り入れたいのが、心理学としての禅です。

心の豊かさは、不合理性の中でこそ育まれていると言われています。ガラリと激変したwithコロナの不合理なこの時代は、まさに心の豊かさを育む心の時代です。心の時代を生きる女性が、心理学としての禅の教えを日常に取り入れることで、今抱えている問題の解決策のヒントを得ることになるのです。

禅は心を鎮め安定させてくれる

禅の教えは、「あるがままを受け入れ、とらわれない心」です。とらわれからの脱却は、心を鎮めて安定させることに繋がります。今抱えている問題によって、不安や憤りで不安定になったあなたの心も、禅の世界を知ることで落ち着きを取り戻してくれるのです。

私たちはこの瞬間も何かにとらわれていることが多いものです。たとえば、食器を洗っている最中も、気がかりになっている今月の家計について、月末はどうなるのかなと、あれこれ考えあぐねることもあるでしょう。それもとらわれです。

また、職場で嫌いなあの人の言った言葉やあの態度が気に入らない、ああ腹が立つ。と、気づけばまた同じことを考えてしまうことがあります。気にしないでおこうと心に決めても、ふとした時にまたそのシーンが蘇えり、腹を立てる。これもとらわれです。

一見いいことのように感じるかもしれませんが、大好きな人のことが寝ても覚めても思い浮かんでしまい、他のことが手につかなくなるというのもとらわれなのです。

とらわれがひどくなると、冷静さを失ったり、自分を見失ったりし、周りに迷惑をかけてしまうこともあるでしょう。また、とらわれで頭の中がいっぱいになり、どんどん自分を追い込んで、状況を悪化させることもあるようです。このように、とらわれた心は意図せずとも弊害を及ぼすことになります。

私たちが望むのは心の自由です。心の自由とは、とらわれていない状態のことを指します。例えば、自分にとってよくないことが起きたとき、その出来事にずっととらわれ続けてしまうでしょう。そのような時、心は不自由なのです。

逆によいことが起きると、その出来事にずっととらわれている方が幸せなように感じますが、目の前のやるべきことができなくなったり、大切なものを見逃してしまったりするのです。何かの問題を抱えているとき、その原因はたいていとらわれです。

禅の教えを取り入れた心理学の観点からものごと見ると、よいことも悪いことも全てを含め、どのようなことが起きようと、とらわれない心の自由を知るのです。執着を捨てることが心の安定に繋がり、幸福度を高めてくれるに違いありません。

心の問題がクローズアップされるこの心の時代に、禅の教えが心を鎮め安定させてくれるのです。

心理学としての禅から得るもの~とらわれからの脱却~

いくら心の時代とは言えど、宗教はとっつきにくく怪しげだと感じる人は多いもの。そこで、心理学の観点から禅の教えを紐といていきます。心理学として考えていく禅の教えから得られるものは、今あなたが抱えているとらわれからの脱却です。

私たちは意識しているしていないに関わらず、多くのことにとらわれ続けています。それは世間の常識や自分の固定観念であり、周りの目や周りからの評価でもあります。または過去や未来の出来事、果ては抱き続けている夢や希望なのかもしれません。禅は、自分を不自由にしているこれらのとらわれから脱却するよう諭してくれているのです。

しかし、あなたはこう感じるかも知れません。とらわれからの脱却は果たしていいものなの?自己中心的になるのではないの?自分の芯というものがなくなるのでは?

多くの人は、世間の常識は優先されなければならないと思っているし、自分の価値観や固定観念を大切にするのがよいことだと信じているでしょう。また、夢や希望はよりよく生きていくために必要で、夢を実現するために切磋琢磨しながら生きていくことが理想だと思うのも当然です。では、とらわれないとはどういうことなのでしょうか。

日常に潜むとらわれ

禅でいうとらわれという言葉、何やら難しくてなかなか理解しづらいと思うことがあるでしょう。心理学を用いると、私たちのよくある日常の悩みに直結して考えることができます。とらわれないとはどういうことなのかを理解していく際に、日常生活に潜んでいるとらわれを見ていくとわかりやすくなります。

世間では一般的に、離婚や失業というものは不幸な出来事であるし、避けなければならないという考えがあるでしょう。夢のない人生は悲劇だと、多くの人が夢の大切さを口にします。それがとらわれになってしまうと、次のような悲劇を生むことになるのです。

離婚を避けるために、配偶者との苦しい関係を我慢して維持し続けると、心身の調子を崩すことにもなります。また、夫婦の関係や両親の気持ちが落ち着かない家庭環境は、子供に悪影響を及ぼすという結果に繋がることがあるのです。

失業したくないばかりに合わない職場で働き続けると、過剰なストレスを生み、うつ病などの精神疾患になりかねません。長引く精神疾患から社会復帰が困難になる、深刻な問題も多いのです。他に、負担の重い職務や働きすぎは、脳疾患や心疾患を引き起こす原因にもなるとは、誰もが知りうるところでしょう。

また、夢を追い続けていくうちに、最初は楽しかったはずのものが、いつしか苦しみに変わっていくこともよく経験するのではないでしょうか。
一方、こういったとらわれをはずしたことで、離婚や失業を自分で選ぶことができ、新しい人生を手に入れて幸せになる人は数多くいます。

時に、今抱えている夢を手放し、別の分野にシフトすることも必要となります。長年手掛けてきた渾身のプロジェクトから撤退する勇気が必要なこともよくある話です。

もちろん時代の変化と共に、世界的に多くの固定観念は書きかえられています。そうでなくとも、自分の中で頑固になっている固定観念や価値観をはずして、苦難から脱却できた話も多く聞くことではないでしょうか。

私たちは実にたくさんのことにとらわれ続けています。

  • 女性は愛されなければならない
  • この子はあの学校に行かなければ幸せになれない
  • 夫は家事を手伝わない、何を言っても無駄
  • あの人は私を嫌っているに違いない
  • 親は尊敬するべきだし、親孝行をしなければならない
  • 人生幸せなことばかりなんてあるわけがない
  • ネガティブ思考はよくない、ポジティブになるべき

こうして見ると、~しなければならない、~であるべき、~であるのは当然だ、~であるに違いないといった、固着した受け取り方の傾向が、とらわれになってしまうことがわかります。では、~べきであるとは真実なのでしょうか?

  • 女性は愛されるより愛することで幸せを感じる
  • この子はあの学校でなくても幸せになれる道はたくさんある
  • これまで夫は家事をしなかったけれど、私の今までの言い方が響かなかっただけだった
  • 周りに聞いたら、あの人が私を嫌っていると感じていたのは私だけだった
  • 虐待の経験で親を尊敬できない人もいる、親孝行ができない家庭だって多い
  • 幸せも不幸もその人の受け取り方ひとつ
  • ネガティブになるのは人間の本能として当然のこと

など、全く別のとらえかたもあるのです。

あなたは今、何にとらわれているのでしょう。そのとらわれはあなたを縛り、苦しめていませんか。

心の時代に~禅でいうとらわれからの脱却~

スポンサーリンク