多様性とは?「らしさ」を考えるとわかる自分の価値観
「多様性とは?」と聞かれて、自分の意見を答えられるでしょうか。最近メディアなどでもよく使われるようになった「らしさ」という言葉は、多様性とはなんぞや?と考える上でも大変重要なことです。
また、「らしさ」を考えるということは、自分の価値観を知るチャンスにもなります。大きな意味で、多様性とは、人間力・キャパをも測れることでもあるのです。たとえば、LGBTなど、日本ではまだ結婚が許されていませんよね。
多様性とはLGBTのみの話ではない
最近では心のトラブルや先天的なトラブル(大人の発達障害、HSP)などもよく耳にするようになり、社会に出て「自分らしさ」に戸惑う人も増えています。そんな人たちに出会ったら、あなたはどう感じるでしょう?その答えがあなたの価値観です。
自分の中の普通と思う価値観と、他の人の普通と思う価値観は違います。そういったことを知ることで、自分の心の枠・価値観を広げる機会にしてください。
多様性とは人種的・個人的な価値観にも関係する
日本では人種に対する差別などは海外ほどなく、実感がわかないこともあるかもしれませんが、多様性とは人種・民族・宗教なども含まれます。日本でも出身地などから差別的な習慣はあったとはいえ、海外の人種差別とは少し異質です。
他にも、多様性とは育ちや嗜好など個人的な意味もあるのですが、その「らしさ」をすべて受け入れる価値観をお持ちの方は少ないのかもしれません。
多様性を考える前に…「らしさ」の価値観の根源を知る
そもそも、多様性とは?と考える前に、まず「らしさ」という概念について考えてみましょう。
多数のメディアやSNSなどで「自分らしさ」について取り上げられていますが、自分らしさ自体がわからない人って世の中にはたくさんいるんですよ。なぜなら価値観の大半は家族などの環境によって決まるものもあるから。
親から学んだこと・環境ゆえに学んだことがあなたの価値観の土台になっています。少し踏み込んで考えてみましょう。
「女なんだから」「年上なんだから」という価値観
周りの大人から、「女なんだから」「お姉ちゃんなんだから」と言われた記憶はありませんか?子供の頃は、“親が言うこと=正しいこと”として認識しますよね。
でも、この言葉って「らしさ」を潰す言葉でもありませんか?女の子はこうじゃなきゃダメ、お姉ちゃんは下に優しくして当たり前…という価値観を、刷り込まれてきたともいえますよね。
そういった教育を受けてできた価値観もあるのです。多様性とは?という以前に、長年にわたり親の価値観を引き継いでいますよね。
ただ、それが悪いという話ではなく、考えてみてほしいのは、
- 親がどういう人だったか
- 本当は親の言うことをどう感じていたか
この2点。
たとえば親に女の子はこうすべき・こうしないといけないと言われてきた方は、それが「らしさ」の価値観に直結します。でも、本当にあなたはその意見に納得していたでしょうか?
多様性とは、そういった長期的に板についた決めつけや思い込み(=価値観)があると、簡単には受け入れられないのが現実なのです。
「自分らしさ」より「役割」に徹する価値観
みなさん、自分らしさって理解しているでしょうか?
考えると案外壮大なテーマで難しいこと。本人は自分らしさを大事にして生きているつもりでも、無意識的にあるべき役割や義務にハマろうとしていることもあるんです。
- 女性が家事をやるべき
- お母さんになったら派手な服装をやめるべき
- 男性は女性に優しくすべき
- 男性は働いて家庭を守るべき
- こうなったらこうすべき
…などの考えってありませんか?
ダイバーシティ(多様性)という意味では、まだまだ日本は後進国な部分もあります。未だに「らしさ」に対する古い固定観念・価値観を持っている人もいるのではないでしょうか?
自身の価値観と世間的な常識は常にイコールとは限りません。一般の常識に縛られる価値観もありですが、それは「らしさ」といえるのかも考えてみてくださいね。これ、多様性とは?と考える時にとても大切なことなのです。
価値観の押し付け?「らしさ」の縛りと多様性の受け入れ
多様性とは、性別・障害・人種や国籍など幅広い意味を持つもので、昨今は「多様性を理解しよう!受け入れよう!」という流れも強くなってきています。
「らしさ」を尊重してお互いを認めようという意味ですが、中には「それって価値観の押しつけでは?」と言いたくなる方はゼロではありません。「多様性とは、らしさの押し付け」と感じる人もいる事実。その具体例を少しご紹介します。
多様性とは「らしさ」を武器に強要するもの?!
多様性とは、らしさを強要するものではありません。
多様性とは、あくまでさまざまな価値観・考えがあり、色んな人がいて当然ということを受け入れることを指すので、「これが自分らしさなんだから!」と相手に押し付けていいものでもなく、要は否定しないで「そうなんだ」と受け入れるか否かの話。
ただ、日本では謙虚や建前、謙遜、協調という文化もあるので、らしさを強要されると不快に感じる方がいるのかも…。
多様性とは自分本意の「権利の主張」とは違う…
具体的に本当にあった例を挙げます。
とあるレディーボーイが「私は心は女性なのに体が男性だから、女性より国からもらえる手当の権利がない!」と主張していたのです。社会が多様性を受け入れていない考えをしている、と…。
多様性とはそういうことなのでしょうか?差別しないで!平等にいて!というのはわかりますが、国から出る手当にはもちろん、理由や意味があるわけです。
必要な人に支給されるものであって、「自分は納税しているのに、もらう権利がない」という主張をするのと多様性とは少し違いますよね。こうなると、この彼女の価値観・多様性の認識・権利や差別の認識は正しいといえるのでしょうか?
人として認めるし、権利も主張も自由ですが、価値観の押し付けと言われても致し方ないような気がします。それとこれとは別問題。そこまで押し付けると誤解を招きかねません。
批判される価値観だって自分らしさ!
多様性とは、いろんな人がいることを受け入れよう・尊重しようということが根本にあります。
が!…そうは言っても人間ですから、嫌なものは嫌なんです。受け入れられない人もいます。
でも、そんな気持ちを抱いたとしても、人間的にダメということではありません。多様性とは、色んな人がいる・価値観が違うのは当たり前という前提なので、逆にいえば「どんな価値観を持ったって良いじゃない」ということなのです。
アンチはアンチなりの価値観がある
アンチは必ずいるし、そんな人もいていいし、アンチはアンチなりの価値観があるわけです。
最近では、多様性という言葉が一人歩きし過ぎて、”社会的弱者を守る”というような意味合いで受け止められているケースがあります。
でも、世にいう多様性という定義に批判的な意見を持つ人だって、「らしさ」と言えませんか?
そこでトラブルや言い争いが起きる時点で、もはや多様性の受け入れではなく、押し付けになるのではないでしょうか。
「らしさ」にこだわらない価値観!多様性とは自分を受け入れること
多様性とは違う価値観・違うバックグラウンドの人もいることを、差別や偏見なく受け入れようということですが、一番大事なのは、自分が自分の人となりを受け入れるところから始まります。
多様性とはどういうものかを考えても、自分を受け入れていなければ、人を受け止める・認めるというのは難しいですからね。
自分らしさを受け入れて初めて、相手を素直に受け入れることができるのではないでしょうか?